銀座の街の歴史
江戸時代
銀座の街の由来は江戸時代にさかのぼります。もともと銀座は銀の買い入れ加工する工場や、買い入れ、取引、それを扱う役所の名が銀座役所といいました。もともと銀座は商人と職人の街でした。当時の銀座は銀を特権的に扱っていたため、相当利益を出しており、それによって街としてはとても潤っていました。その後銀座の街は一旦衰退し荒れた地となっていきました。
明治時代
明治時代に入り、政府は「これはいかん」と銀座の再開発に取り掛かります。それにより道路幅は当時の倍に広げられ、歩道と車道が分別され、また街路樹も植えられました。最新の技術を取り入れるためにイギリスの建築家、トーマス・ウォートルズによって街の建設をおこなわれました。それが銀座の街の基盤となりました。明治5年には、新橋から横浜をつなぐ鉄道が開通したことにより、西欧から様々な輸入商品が入ってきたことから洋食から洋服など多くの商人が銀座にお店をオープンさせました。
大正時代
しかし、大正12年(1923年)関東大震災が発生。当時の銀座にも木造の家が多かったためまた、耐震基準が緩かったこともあり、甚大な被害を受けました。そして東京市(現在の東京都)は被災復刻計画を打ちだしました。それにより晴海通りが拡張され道幅が広げられました。その1年後大正13年今は、なき「松坂屋」がオープンします。これが銀座初の百貨店となり百貨店ブームの時代を作ってきます。
現在↓
大正15年には松屋銀座がオープン。当時は吹き抜けの部分に水族館があったそうです。
昭和時代
そして昭和5年、三越銀座がオープン、これにより銀座の三大百貨店となり一層競争力が生まれ街は発展し進化をしていきます。その後カフェーブーム(後のクラブ)、バーブームになり夜の銀座の形成が始まります。また衣装などの洋服も流行の最先端を銀座が作っていたほど、アパレルにも力が入り、多くのファッションブランドが銀座に出店を始めました。
しかし時代は戦争の時代に入ります。戦争がはじまると、「贅沢は国民の敵」のような風潮になったため、銀座の街の活気がなくなり、夜の街もうすぐらくなってしまいました。焼け野原になった銀座、その後戦争が終わり銀座復興に乗り出します。徐々に街に活気が戻り新しく進出する店舗や活動を再開するお店が戻ってきました。復興とともに高速道路の計画と地下鉄の開発も進められたのもこの世代です。それまでは現在の中央道りには路面電車が走っていたが人口の増加や交通網の整備計画が進行し、地下鉄が開通した後路面電車はなくなりました。
昭和は長いですね~
その後日本は高度経済成長期に入り、物価、地価などの高騰日本は経済成長を遂げ、復活したのです。それまでの銀座には木造の家が立ち並んでいたがビルに変わっていき今でも銀座の街にある資生堂や銀座ライオンなどが有名です。
時代に対応した街づくり
銀座の歴史を振り返ってきましたがもともと銀座は日本の発展に貢献してきた街であり時代とともに形を変えてきました。徳川家康が東京を日本の中心にし、貿易、流通、商人の街とし、今風の言葉でいうとブランディングしてきたのです。ただ根本的な部分は今もなお受け継がれてきている代々昼の銀座には昼の銀座のルールや決まりがあったりまた、夜の銀座にも暗黙のルールが受け継がれています。その両者によって銀座の価値を保ち続け、日本経済を支えてきました。大正時代から続いてきた松坂屋銀座店も2013年6月30日をもって閉館しました。私はその時思いました。銀座の顔ともいえる松坂屋が時代の波によって消えてしまうこと、いくら昔一世を風靡したとはいえ力がなくなるとこうも簡単になくなっていってしまう。銀座という街はそうゆう街なんです。常に時代の最先端で走り続ける街なんです。だから多くのアパレルから飲食店まで憧れの地なんです。それだけ競争力があり生き残りをかけて銀座に店を出店し、実業家が今日もしのぎを削っている街。それが銀座なのです。
昼の銀座と夜の銀座
何度も紹介してきましたが銀座には二つの顔があります。一つは昼の顔。もう一つは夜の顔です。銀座という街はこの両者により構成され日本の経済を支えてきました。東京の中心部に栄える銀座ですが、様々な目的を持ち銀座の街を色濃く染めています。
昼の銀座はビジネスマン、商人、カフェなどの飲食、貴金属店(宝石など高額商品取引店)、アパレルなどが活動しており、そこには買い物客、観光客が平日休日関係なく街に溢れています。道にはお金持ちのスーパーカーや高級車が多く路駐し買い物を楽しんでいます。その層は様々で家族ずれから若いカップル、お年寄りまで幅広く昔の銀座の格式より若干下がってきています。=(カジュアルかつ上品な街に~)
夜の銀座のメインはクラブ、ナイトクラブ、DJバー、スナックなどが活動します。昼の銀座とわ、かけ離れた世界戦と空気が流れています。特に銀座6,7,8丁目の並木通り、見番通り、金春通りには多くの黒服と黒塗りのラグジュアリーカー(センチュリー、レクサス、クラウンなど)またハイヤー、タクシーがひしめき合っています。そして多くの政財界の人物や芸能人、大物実業家たちが訪れ多くの資本が流れています。それは昼間に流れる資本をしのぐほどともいわれています。そこには沢山の情報網がれており、銀座の裏の顔ともいえます。
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