今世界中が時代の変化に大きく直面しています新たなウイルスの発生や各国の経済状況、AIの発展、それから文化や人の価値観、現在存在する様々な住宅街にもその時代の変化が訪れているといえます。では今後の衰退予想地域や上昇地域住宅のあり方などをここで解説していきます。
東京の地価の歴史
江戸時代
当初は都心部は江戸城の周りには多くの武家屋敷や商人が住んでいました。特に港区、千代田区周辺は多くの大名のお膝元として当初からにぎわっていました。当時は身分によって住める場所が分けられており、高い身分のものから順に上屋敷・中屋敷・下屋敷に分けられていた。上屋敷は現在の紀尾井町や番町といわれる千代田区、新橋や、赤坂、三田の港区でした。現在の東京も千代田区、中央区、港区を中心とした東京が今もなお構築されています。品川から先はまだ埋め立てされていなく実際皇居から海側の地域は江戸時代から平成にかけて埋め立てられた埋立地なのです。当時は江戸城(現在の皇居)から海が見えました。ちなみにその周りの世田谷区や杉並区練馬区などの周りの町はごく一般的な農村が広がっていました。
明治時代
徳川の時代が終わると海外の西洋ブームや東京の地の発展が大きく変化しました。また、主権が天皇に変わったことにより日本国政府が1885年(明治18年)に創設され、内閣府ができもともと武家屋敷や大名屋敷であった広大な東京都心部の土地に各省庁が設立した。
それが現在の霞が関や麹町なんです。ちなみに千代田区は皇居を囲うような形に区切られています。
1905年(明治38年)12月2日に在イギリス公使館が昇格し大使館となったそれをきっかけに現在の港区や目黒区、渋谷区などに各国の大使が日本に在留するようになっていった。
昭和時代
昭和時代は第二次世界大戦が勃発し東京大空襲によって東京は焼け野原になりました。多くの建物が焼けたことによりそのころ土地の領土の区画がはっきりと定まっていなかっため、戦後勝手に自分の領土を毎日コツコツ広げていった人も当時はいたそうです。それが今になり地主となっています。その後日本が高度経済成長期に入り東京の人口が増加とともに土地に価値がつくようになり、少しずつ東京周辺から地上げが始まります。
また工業や産業の発展、道の整備も始まり東京オリンピック開催時には東海道新幹線の開通や首都高速が完成により、一気に東京の地価が上がり始めます。高度経済成長期の後半日本はバブルに突入、東京の地価は1991年の銀座の地価は3500万円を超え不動産バブルでもありました。さらに東京近郊のリゾート開発も活発になりスキー場、ゴルフ場や、別荘も作れば売れて上がるという今思えばウハウハの時代でした。
具体的なバブル期に開発された関東近郊別荘地(リゾート地)
千葉 鴨川、館山、千葉市緑区(チバリーヒルズ)緑ヶ丘、長柄
神奈川 鎌倉逗子、大磯、箱根、真鶴
静岡 熱海、熱川、湯河原、伊豆、沼津
1991年バブルが崩壊、それとともに日本各地の地価、物価とともに不動産価格や坪単価も大幅に下落しました。
しかし長期的にみると東京の都心部の地価は今もなお上昇していて、これからも変化していき今後はもっとグローバルな東京になると思います。最近街を歩いていると外国人が子供たちと歩いている姿がよく見られます。東京を気に入って永住する人もこれから増えると思います。そのニーズに合った街つくりができている地域は今後も地価の上昇は考えられます。
高度経済成長期からバブル時代にかけての高級住宅街開発
日本がいろんな意味で活気があり大人の男性は死に物狂いで働いていた今では考えられないパワハラ、セクハラが普通に行われていた時代。しかし良くも悪くも戦争の敗戦国である日本はその莫大な借金を返すべく必死に働きバブル期には世界のトップ企業が日本が独占しました。それに伴い東京は一気に開発され始め住宅街や商業地区が整備され始めました。その当時開発さえれた代表的な地域を紹介していきます。
世田谷区 成城
高度経済成長期前半から開拓され成城学園が新宿からここの土地に越してきたことが、きっかけで田園調布をモチーフに街が形成され、当時最新の住宅街に開発されました。1932年に東宝撮影場ができたことをきっかけに勝慎太郎、黒澤明、市川崑、本多猪四郎、志村喬、三船敏郎、加東大介、加山雄三、石原裕次郎、宇津井健、有島一郎、藤田進、司葉子、深作欣二、大林宣彦などの映画監督や著名人や大物俳優が成城に家を構えるようになり高級住宅街に進化してきました。その後企業の持ち家や大物芸能人など多くの豪邸が建設され今もなお多くの豪邸が軒を連ねます。
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大田区 田園調布
大正時代 日本を代表する大物実業家、渋沢栄一が手掛けた大田区の高級住宅街駅江を囲うような楕円形の街形成は東京でここだけ!日本でもなかなかない美しく洗練された高級住宅街です。東京都心部の中でも多くの緑や自然があり、落ち着いた高貴な富裕層が多く住んでいます。こちらの地域も名だたる大物が多く住んでいて芸能界の人というより大手の社長や会長がひっそりと暮らしています。昭和の伝説野球の長嶋茂雄、野村克也などもここ田園調布に住んでいるとか、、、
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目黒区 自由が丘
自由が丘と聞くとスイーツというイメージが大きいが、実際は商業地区と住宅街のハイブリッド型の地区です。駅周りは多くの飲食店や雑貨屋日用品店など幅広く店が出店しており、しかし一本道に入ると閑静な高級住宅街が広がっており目黒区の中でも特に人気の高い地域です。実際には歴史は浅く昭和初期は自由が丘という地名ではありませんし普通の農村でした。
自由が丘の詳しい記事はこちら➤
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